その12
信州新町化石博物館

04.11.28.up

日本中のせいうちに会いたい、いやぜひ会わなければ!
せいうちせいうちを呼んでいるのだ!!

この合言葉とともに全国を旅して歩いたせいうち探検隊であるが、
前回までの旅で、国内の全せいうちに一通りの面会を済ませ、
せいうち探訪の旅も、一応の完結を見た。
今後は、全国行脚の2周目に突入するつもりではあったが、
その前に一度は行っておきたい場所があった。


おいで〜、おいで〜、一度はおいで〜・・・。
探検隊をいざなう遥かなる呼び声、それは太古の昔から甦ったご先祖さまの声であった。
せいうちのご先祖さまがおわすところ、それは意外にも深山連なる信州にあった。

長野県には海がなく、海獣とは全くと言っていいほど縁がなさそうに思われていたが、
ところがどっこい。 長野県山中の地層からは、貝や魚類などの化石が多く出土しており、
日本列島が形成される以前には、同県付近まで海が入り込んでいたと考えられている。
そして、その古い地層の中からせいうちのご先祖さまにあたる種族の化石が見つかり、
鰭脚類の進化を研究する学界に一大旋風を巻き起こしたというのだ。

このような訳で、今回はせいうち探訪の旅の一環として、
せいうちのルーツを求めて、晩秋の信濃路へと旅立ったのである。


夜明け前に本拠地・横浜をオートバイで出発し、目的地である
信州新町化石博物館に到着したのは、午前10時すこし前のことであった。
関越道を飛ばし、群馬→長野というルートでここまでたどり着いたが、
途中の山越えで濃霧に襲われるなど、走行中の体感温度は氷点下という
厳しい寒さとの戦いで、体力はすっかり奪われてしまっていた。
まだ博物館は開館していないようなので、冷えた体をほぐすべく
しばし陽の当たる駐車場にて休憩を取りながら待つことにした。


あぁ〜・・・、だんだん体も温まってきた。(*^-^*)
それにしても、オープンはまだかなぁ・・・。 そろそろ10時半になるぞ。
・・・って、え? えぇっ?! よく見ると、扉の中に「本日休館日」という文字が!
そ・・・そんなぁ・・・。 ここまでの5時間250kmにも及ぶ死闘が無駄だったと?

・・・いやいや! あきらめるのは、まだ早い!
やるだけやってみなくっちゃ、未来は開けないぞ!
たしかここは町営博物館だったはず。 ならば・・・と、向かう先は信州新町役場。
1階の相談窓口で「どうしても見させてほしい〜!」と泣きすがって懇願してみる。
するとどうだ、「本当は休みなんですけども、いま担当者を呼びましたから・・・。」との
天の救い声が!! っていうか、お呼びだてして申し訳ありませぬ。

指示どおりに博物館の前に戻って、待つことしばし。
わざわざ自宅から休日出勤してくださった学芸員さんが
探検隊のためだけに、博物館を開けてくれたのでした。
ありがとうございます! m(_ _)m


ほかにだ〜れもいない博物館に入れてもらう。
たった1人のためにオープンなんて、ぜいたくぅ〜。  ・・・とか声には出せないけれど、
内心はうれしくてうれしくてはしゃいでいたのだが、話をよくよく聞いているうちに
来てくださった学芸員という方は単なる役場の事務方さんではなく、
化石研究をしている学者さんだということがわかってきた。
・・・えらいことしちゃったかなぁ。
でもそのおかげで、いろいろと最新の学説なんかまで教えてもらえたりして
とても有意義なひとときをすごすことができました。 感謝、感謝!

さて、メイン展示場である「フォッシル・ワールド」に足(ヒレ?)
踏み入れると、そこはもう太古の世界。
昭和初めに近くで発見されたという、大きなヒゲクジラの化石が
どーんと据えられていた。 ん?壁面にはクジラの絵?


ヒゲクジラ展示の奥へ歩を進めると、あった!
目的のせいうち化石コーナーだ!
発掘された2つの化石と、比較用の現生種の頭骨が展示されている。


これが、せいうちのご先祖さまにあたる「オントケトゥス」の化石だ!
信州新町の隣村である中条村の山中から1995年に発見された約420万年前の化石で、
牙と頭骨が同時に見つかった標本としても稀有な発見だそうであるが、それまで有力であった
セイウチ科は北大西洋で進化した後、北太平洋にも進出した」という学説を根底から覆し、
北大西洋に進出する以前から、北太平洋を主な活動の場としていた」とする新説の
決定的証拠となり、鰭脚類進化解明におけるターニングポイントとなった大発見だったのである。
(これまで太平洋側において、せいうちの祖先と思われる化石は発見されていなかった)

出土した化石は「右牙」と「上あごから後頭部」の部分で、現在展示されている物の
「左牙」と「下あご」は失われた部分を復元製作したレプリカである。



鰭脚類進化系統図
それでは、せいうち進化の概略を見てみよう。

鰭脚類のおおもととなっているのは、エナトリアルクトス
と呼ばれる哺乳類で、クマの祖先に近い種族であったと
考えられている。

陸から海への生活へ還っていった鰭脚類の祖先は、
まずアザラシ科に進化していく種族が分科し、残った
ものからさらにセイウチ科アシカ科デスマトフォカ
(後世に絶滅)へと分かれていった。

セイウチ科へ分かれた種族は、ドゥシグナサス亜科
セイウチ亜科の2つに分岐したが、ドゥシグナサス系
途中で絶滅してしまい、セイウチ科の中から現在まで
生き残ったのは現生のセイウチただ1種であった。

化石で発見されたオントケトゥスとは、セイウチ亜科
分かれてから現生セイウチへと進化する過程に現れた
一種族であり、左図中にマークがつけられている辺り
の時代に生息していた絶滅種である。

1500万年以上も昔に独自のセイウチ科へと分科してから、
イマゴタリアアイブクスオントケトゥスへと進化を続け、
ついにはオドべヌス(現生種=セイウチ)へと進化を遂げた
のである。
注:オントケトゥスは、以前はアラクテリウムという名で呼ばれていたが、
最近の学説変化により
オントケトゥスという新たな名がつけられた。



こちらは、現生セイウチの頭骨である。
なかなかりっぱな牙の持ち主だったようですが・・・合掌。



さて、祖先であるオントケトゥスから現代のセイウチまで
どのような進化があったのだろうか。
オントケトゥスセイウチの頭蓋骨格を比べてみると、
次の5点において相違点が見られる。

@後頭部の形状
   ・・・オントケトゥスのほうがでっぱっている
A牙の長さと生える方向
   ・・・セイウチのほうが断然長く、下向きに伸びる
B鼻の下部分の形状
   ・・・セイウチは長い牙を支えるために牙の根元に
     あたる部分が「ハ」の字型に広がっている
C門歯の有無
   ・・・オントケトゥスには前歯がある
D乳様突起の形状
   ・・・後頭部と同様、オントケトゥスはでっぱっている

セイウチ科の最大の特徴である「牙」については、時代が
古い種ほど短く、新しい種ほど大きく長く伸びていることが
わかっている。
こう見ると、オントケトゥスの時代には、まだ前歯を使って
獲物を咥えるように捕食していた名残りがあったようだ。
現生セイウチは貝などを吸い込むようにして食べている
ので、不必要な門歯が退化したのではないだろうか。


正面から見てみると、たしかにオントケトゥスには門歯がある。
牙が生えている部分の頭骨も、セイウチほど発達していなかったようだ。



こちらは、信州新町で発掘されたオントケトゥスの化石。
実は、中条村のものより30年も前に発見されていたのだが、発見当時の学説では
セイウチ科の動物は北大西洋でのみ発達していたと考えられていたため、
信州で発見されたこの化石は、セイウチ科以外の鰭脚類であると思われていた。
しかし、それから約30年後の中条村での発見がもたらした学説の劇的な変化により、
初めてセイウチ科であるオントケトゥスの化石であったことが解明されたのである。
つまり、この小さな化石が、太平洋域において発見されたせいうち化石第1号だったのだ。



館内に併設された「フォッシル・ラボ」では、展示化石に関する解説映画を上映している。
セイウチの化石」とのタイトルでは、発掘当時の現場写真などを見ることができる。



これは、せいうちコーナーの端に飾られていた木彫りのせいうち像
太古の時代から生きてきた、せいうちの力強い泳ぎが海を渡っていく・・・。

化石博物館のせいうち関連展示物は、以上でおわり。
たった2点の化石ではあるが、これが学界に与えた影響については上に記したとおりである。
学芸員さんの解説を聞いて、せいうちのルーツについてよく理解することができ、
わざわざ出向いた価値が充分にあったといえる、有意義な旅であった。





学芸員さんに見送られて、帰途につく。
復路は、松本から諏訪湖畔を抜け山梨県へと続く中央高速ルート。
往路とはうって変わって、午後の暖かい陽射しが心地よい。
諏訪湖SAでの休憩では、紅葉した山並みを眺める余裕さえ出たのであった。



今回の旅のお供は、愛車・スズキDR-BIGことDR800S。
水から跳ね上がったイルカのようなフォルムが独創的でしょ。




せいうちのルーツを探る旅は、これにて一巻のおわり。
さてさて、次の旅はどんな旅になることやら・・・。
この世にせいうちがいる限り、せいうち探訪の旅はつづくのだ!